クラブ・マリッジでは、毎月第4水曜に、シンガポールにて、日本人向け国際交流会「Singaporeめぐり会」を開催しています。第4回となる今月の会は、「七夕」をテーマに、LEWIN TERRACEよりお届けします。
中華圏であるシンガポール。日本と同じアジア圏のため似ているところもありますが、違うところも多々あります。同じ節句なのだから、日本の常識が通じるでしょうと思ったら、全く通じないなんてことも。
七夕は、その際たる例といえるでしょう。そこで、今回は、中国と日本における七夕の違いをご紹介したいと思います。
日本では日にちは西暦の7月7日で固定
元来中国の節句の1つであった七夕。現在では、日本も含め、アジアの各国で節句の1つとなっています。七夕節は、中国における旧暦の7月7日にあたる日で、現在の日本では、西暦の7月7日とされています。一方中国では、旧暦を西暦に直すため、毎年日にちが異なります。ちなみに、中国では、今年は、8月7日が七夕節となります。
七夕の由来は共通
七夕節の由来は、良く知られている「織姫と彦星」の伝説です。
元々働き者であった天帝の娘である「織姫」と、同じく働き者の「彦星」は結婚した途端、2人の生活が楽しいあまり、織姫ははたを織らず、夏彦は牛を追わなくなりました。それを見た天帝は怒り、2人を天の川を隔てて引き離してしまいました。ところがその仕打ちを嘆き悲しんだ2人は、一層働くならなくなりました。そこで天帝は、真面目に働くのなら7月7日だけは会わると約束をしました。こうして2人は、7月7日だけ出会えるようになったという伝説です。
なお、織姫は裁縫を司る織女星、彦星は農業を司る牽牛星と考えられています。天の川を間に挟むこの2つの星は、 旧暦7月7日に、最も輝いて見えることから、このようなお話が生まれたのではといわれています。
日本での七夕、中国での七夕
現在、日本で七夕と言えば、短冊に願い事を書いて笹の葉に飾る日です。日本人には当たり前に思えるこの風習。ところが、シンガポール人がこれを聞いたら、ビックリされることでしょう。
日本独自の七夕の風習はどこから来たのでしょうか。また、現代中国では、七夕はどういう日なのでしょうか。
「笹の葉に願い事を書いた短冊を飾る」にいたるまで
古来中国では、織姫にあやかって、七夕は「乞巧节(きこうでん)」という、裁縫がうまくなるように祈る日とされていました。奈良時代には、日本にもこの乞巧节が中国から伝わってきましたが、庶民の間に広まったのは、幕府が七夕を五節句の一つと定めた江戸時代のことでした。江戸時代、庶民たちの間では、和歌の上達を願って、梶の木の葉に和歌を書く風習がありました。この風習が変化し、梶の木の葉が短冊に代わり、笹の葉に短冊を飾るようになったと言われています。
では、なぜ、笹の葉だったのでしょうか。
これは、日本の神道に関わります。「八百万の神々」という言葉が表す通り、古来日本では、様々なものに神様を見出してきました。
笹の、雨風にも冬の寒さにも負けず、力強く天に向かって伸びるその様子に、神聖な力を見出していたと言われています。そのため、笹は様々な神事に用いられてきました。
ちなみに、竹と笹を混同されている方も多いことと思いますが、実は違う植物です。ただ、竹も笹も上記の理由から、両方とも昔の日本では神聖なものとされていました。
だからこそ、願い事を飾り付けるのに用いられるようになったのでしょう。
中国における七夕って?
現在、中国で七夕と言えば、バレンタインデーの日!これは、中国では乞巧节がすたれてしまった後に、欧米のバレンタインデー文化が入ってきたからだと言われています。
日本や欧米各国と同じく、中国でも2月14日はバレンタインデー(中国語では「情人節」)なのですが、七夕は「七夕情人節」と呼ばれ、中国式バレンタインデーの日となっているそうです。中国式バレンタインデーでは、女性からではなく、男性から女性にプレゼントを贈ります。
まとめ
いかがでしたか?日本人にとっては当たり前の「願い事を短冊に書いて、笹の葉に飾る」という七夕の風習も、所変われば、珍しく、興味深いイベントと言えるでしょう。
また、独自の解釈と時代に伴う変遷をしながらも、昔からの風習を廃らせることなく続けていくところに、日本人の勤勉さが表れているようにも思えます。
7/24(水)にシンガポールのLEWIN TERRACEにて、クラブ・マリッジが主催する「第4回Singaporeめぐり会」では、「七夕」をテーマに、この日本人にとっては当たり前の風習「願い事を短冊に書いて、笹の葉に飾る」ミニイベントを行います。
日本文化に興味があるシンガポール人の方、異国の地にあって日本がちょっぴり恋しい方、日本人と交流したい方に大変オススメの交流会です。
ぜひ、シンガポールにいらっしゃる方は一度ご参加くださいませ。